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戊辰戦争の恨み - 二本松と三春[歴史]

2013-08-13

帰省したときに聞いた話。
私の父は高校の教師をしていた。
最初の赴任地は二本松市の安達高校で、次の赴任先は三春町の田村高校。
その送別会のときに「三春に行くなら餞別は渡せない」と複数人から言われたらしい。

父は、1936年生まれなので、安達高校から田村高校への転勤はおそらく、1960年頃か。
会津戦争は、1868年なので、90年経っているのに、そういう状況だったらしい。

二本松が三春を恨んでいる理由は Wikipedia を見るよろし。

Wikipedia - 二本松の戦い

距離に近く、民族も同じなのに、やられた方はずっと恨みを忘れないのだなあ。


そう考えると、日韓併合から、たかだか100年ほど、
第二次世界大戦終戦から、たかだか68年、
やられた方が恨み続けるのは仕方ないことなのかもしれない。


恨みをやわらげるには、対話しかないんだろうな、とは思う。
会津が長州を強く恨んでいるのは、死体捨て置きが最大の理由だろうけど、
長州側の立場に立てば、自軍が暴徒化しないために、やむなく考えた方策だったふしもある。
戦争直後にちゃんと理由の説明ができれば良かったんだろうけど、
会津と長州では方言が違いすぎて会話になったかどうか。


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