http://toyokeizai.net/articles/-/17552
アメリカの教科書は、生徒に「考えさせることで学んでいく」というかたちを取っている。
アメリカの歴史教科書は、単なる史実の記述だけではなく、それをどう捉えたらいいのか、
少なくとも生徒に「考えさせよう」と編集されている。
つまり、「なぜそれが起きたのか?」「そのときの選択は正しかったのか?」という
「Why」が前提になっている。
したがって、その答えはいくつもある。
要するに、キミはどう思うか?ということを常に問うている。
だから、生徒がどんなに乱暴な意見を言おうと、それを「間違っている」と教師は言わない。
歴史とは、私たち一人一人のストーリーと国家のストーリーの集積である。
これはいくつもの「必然と偶然」、そしてそのときの「選択」の結果だ。
だから、常に「なぜ、いま私たちの世界はこんなふうになっているのか?」
が問われなければならない。
しかし、残念ながら、現在問題になっている反日的な中国の歴史教科書では、
ストーリーは一つであり、その解釈も一つだ。
必ず回答がある、ってのは安心感はあるけど、
もやもやとしたものをそのまま飲みこむ度量は身につかないよね。
そもそも回答があるもののほうが少ないわけだし。
日本がマイノリティに対してやさしくないのは教育のせいってのもあると思う。
ただ、教育されなくても自分で気付くことはできるのが、
今の時代の良いところだとは思う。
ディープにインターネットとたわむれていくと、面倒事に巻きこまれつつ、
先人達の遺産に触れ、成長していくものかな、と。
たとえば、こんなのとかを読むと成長は促される。
What is fj? (version 3.6)
https://groups.google.com/forum/#!topic/fj.1st-readme/0BO0AJViOsM
だいたい簡単に結論が出るような議論(魚のいない水族館はあるかとか)は
滅多にないし、もめる議論ほど(かつ丼と天丼のどちらがより民主的かとか)
面白いと言えます。
つまり「絶対」なんて尺度がある問題は少なくて、ほとんどの問題は
様々なトレードオフ(javaは遅いけど、おいしいとか。Cは速いけど、
疲れるとか)をもっていて、なるべく最善策をさがすという方法しか
とれないような議題が多いのです。
またそういう話題だからこそ(全人格的にのめり込むくらい)盛り上がるし
面白いのです。