http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0925/high43.htm
だから'90年代になって我々は皆非常に失望した。
(新世代の技術者らは)なぜただ我々が書いた論文を読んで
実行しないのだと。
我々が出した答えは、彼らは違うグループに属す人間なので、
その論文を読めないということだ。
彼らはポップカルチャーの人間だ。
ポップカルチャーの人間にクラシック音楽を
学ばせたかったら、彼らが自分でクラシック音楽を
発明する必要がある。
なぜなら(学習は)労力がかかるからだ。
ビットバレーの人々や、Web 2.0 の人々から、
キラキラした目をしながら、良いアイディアがあるんだよ、
と言われて、話を聞いてみると、実に使い古された、
しかも滅びさったアイディアや技術で、
とほほ、という気分になることが良くある。
ネットの仕事をするようになって10年も経ってないのに、
そういう気分を味わうってことは、アラン・ケイ等の先人達は、
もっともっと、とほほ、という気分を味わったに違いない。
それでも歩みを止めずに進み続けるからすごいよなあ。
ちなみに、とほほ、な気分になった場合にも、
絶対にそのアイディアを出したことを否定してはいけない。
世の中の流行りものって、だいたいは何かの再発明だし。
そのうち、たまたま運が良かったものだけが残るだけ。
そういう事実は Google とかのおかげで良くわかるようになった。
でも Google を使って、情報を探すことが可能になったとしても、
その情報を咀嚼して学習するかどうかは別の問題。
私はGoogleの社員に、「エンゲルバートを知っているか」と
聞いたことがある。
「ええ。マウスを発明した人でしょ」。
「彼がしたことは?」
「さあ。なんでそんなことを知りたがるんです?」
彼らは何でも見つけることができる会社にいるのに、
学ぶ気がまるでなかった。
エンゲルバートと打ち込めば最初のエントリーで
彼が書いた75の論文を手に入れられる。
3つめでデモが見られる。
なのに、コンピュータ分野の最重要人物の
一人だった人物に関して、彼らはなぜそんなに
知りたがらないのか。
この関心の無さはポップカルチャーの関心の無さだ。
言い換えると彼らは過去のことすべてに関心が持てないのだ。
学習時間を惜しむ気持ちは、まあわからないでもないんだよね。
結局は、この人が言うなら読んでみよう、とかそういう意識付けが
重要なのかもしれない。
ソーシャルなんとか、というものの価値はその辺にあるんだろうな。
社会全体がレベルアップをしていくためには、
コミュニティ単位それぞれが再発明の過程を繰り返すしかない。
インターネットやコンピュータはそれを加速する装置だけど、
結局は人の問題なのよね。
人間のソフトウェア的な能力、脳味噌の中身、っていうのは、
まだまだ進化できるのかなあ。
個人的にはまだまだ進化はできると思ってるけど。