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信頼の定義について[ネタ][原発]

2012-06-06

http://ulog.cc/a/medtoolz/17827

イカサマをしたカジノのディーラーは信頼を失ってしまう。
ディーラーが「もう大丈夫です。信じて下さい」と一生懸命叫んだところで、
何の意味もない。

信頼を失ったディーラーは、その代わり「こいつはイカサマをする」
という信頼を獲得したのだとも言える。
カジノがお客さんを呼び戻そうと思ったら、
「イカサマをするかもしれないディーラー」を組み込んだルールを
提示してみせる必要がある。

原発の事故が発生したその時点で、「爆発しない原発」を
前提としたルールは信頼を失い、ゲームは破綻した。
「今度の原発は安全です」と宣言しようが、
「点検」や「改良」をどれだけ行なってみせようが、信頼は戻ってこない。

ルールの破綻で失われた信頼は、その破綻を前提とした
もっと大きなルールの提案によってのみ回復できる。

原発に事故が起きたのならば、今度は「爆発する原発」を
前提とした安全プランを、避難経路を整備してみせたり、
通知のシステムを改良してみせたり、破綻したルールをもっと
大きなルールでラップすることが必要になってくる。


原発事故でもやもやしてたのはこの点なのかもね。

事故が発生した場合には、

1. 正確な事故報告の作成
2. 再発防止策の作成

をするのが普通なんだけど、どっちもできてないように見える。

ひょっとすると現場では形だけは作ってるのかしら?
でも、そもそも信頼がなくなってるから、やることなすこと嘘っぽい。

信頼されてない、ということを前提に考えないと客は戻らんよなあ。

「良いルール」とは、「見通しが良いルール」なのだと思う。


ゲームをするとその辺は感覚として良くわかる。
法律を作ってたり、政策決定をしてる人達って、
その辺の感覚が薄いんじゃないかな?
漏れや落ち度がないのが良いルール、じゃないんだよね。

危機にあって信頼される、選ばれるのは、「壊れない機械」ではなく
「見通しが良い機械」なのだと思う。


見通しが良くしてくれる人、ってのが今は必要なのかもね。
池上彰が人気があるのはそういう理由なのかもしれない。

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